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      <title>どんぶりトリオの日記</title>
      <link>http://emnm.cfefsa.org/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
      <lastBuildDate>Sat, 05 Dec 2009 01:28:20 +0900</lastBuildDate>
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            <item>
         <title>ドラム缶風呂</title>
         <description><![CDATA[ドラム缶風呂（どらむかんぶろ）は、日本の風呂の種類の1つで、空いたドラム缶を廃品利用して風呂として使用したものであり、五右衛門風呂の亜種である。石を積んで作った釜の上に置いたドラム缶に水を満たし、底部を釜の火で熱してお湯にする。入浴は五右衛門風呂と同様に、木の蓋を踏んで入るか、あるいは下駄を履いて入るかである。第二次世界大戦中、（素材が調達しやすいことから）戦地でよく作られ、戦後も簡易な風呂として、内風呂のない家庭も多かった昭和40年代（≒1965年 - 1975年）頃までは一般家庭でもしばしば行われていた。現在でも，ボーイスカウトや子供会などの行事，あるいは宿泊施設の娯楽として野外でドラム缶風呂に入浴できるようなドラム缶加工品(底部に水抜き用水栓が付いている)が市販されている。

日本の風呂の1つで、ヒノキで造った大型の小判型木桶に、火を焚く為鋳物製の釜と煙突が付いた形状をしている。煙突の付いた釜の形状が鉄砲に似ている為『鉄砲風呂』と呼ばれる事もある。江戸時代から存在したが、一般に普及したのは明治時代から大正時代にかけてと言われている。現在ではガス湯沸し器型の風呂が普及した為、五右衛門風呂と同じくあまり見られなくなってきている。
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壁・天井・浴槽・床をあらかじめ工場で成型し、現場に搬入して組み立てる風呂。洗面台やトイレと一体型となっているものもある。第二次世界大戦前のアメリカで特許が取られたが普及せず。日本では、1960年代にホテルや集合住宅向けに、大量かつ容易に組み立てられる浴室として普及した。最初に大量納入されたのは、東京オリンピックに向け突貫工事が行われていた東京のホテルニューオータニ。最初は、繊維強化プラスチック（FRP）製の浴槽であったが、素材の開発が進んだ1980年代以降は、ポリエステル樹脂やアクリル樹脂を用いた人工大理石浴槽や、保温性の高いステンレス浴槽を用いたものも出現した。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/12/post_54.html</link>
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         <pubDate>Sat, 05 Dec 2009 01:28:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本文化の搾取・隠蔽</title>
         <description><![CDATA[近年まで、日本の映画や音楽の流通と広告は禁止されていた。しかし、実際には、韓国南部では日本語放送を傍受できたほか、日本国内で録音、録画したものが密輸入され、海賊版として流通していた。一部のアニメは日本から輸入され、スタッフ欄、作品内の表現や文字を書き換えたり日本国旗を塗り潰して韓国旗を上書きしたりして、あたかも韓国内で作られた作品であるかのように修正され、或いは和服などの日本を連想させる描写をカット、或いはそのようなシーンを含む回を隠蔽・放送しない形で放送されていた。これらのアニメは手塚治虫作品など、日本国内でも高い評価を受けた作品が中心であり、韓国では公的には日本の大衆文化を排除しつつ、一般的な韓国人が気がつかない形で日本文化の摂取が行われていた。また日本統治時代の名残である日本の武道が韓国式にアレンジされる例もあった。日本文化の露骨な模倣が行われることも多々あり、その結果、韓国の大衆文化は現在でも日本の大衆文化との類似性が高い。以前はこれらの事情を知らない韓国人の間で、日本の大衆文化が韓国のそれに似ているのは前者が後者を模倣したためだという誤解も生じていた。逆に、韓国が起源だという韓国起源説も一部で活発に唱えられている。
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1991年に従軍慰安婦問題において、韓国でも実際に拉致されたと主張する人が名乗り出始め、この問題がマスコミで取り上げられた。この名乗り出に、当時の日本政府は当初、戦後補償に含まれて居たとしてこの申し出に関して取り下げさせようとしたが、逆に事態を悪化させる結果を招き、韓国国内における「反日」感情の高まりへと発展した。ソウルの日本大使館への侵入やデモ、国旗を焼き捨てるなどの暴動が発生した。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/11/post_53.html</link>
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         <pubDate>Sun, 29 Nov 2009 13:12:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>池上三院家</title>
         <description><![CDATA[大坊本行寺 
日蓮入滅の霊場。境内地は池上氏館跡で、館内の持仏堂を起源とする。理境院、照栄院と共に池上三院家の1つ。 
妙祐山理境院 
総門を入ってすぐ左手にある。本門寺三世日輪の住坊として元亨年間（1321?1324年）に開創。大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家に列せられ、朱塗りの山門を許された古刹。幕末、官軍の薩摩藩勢が江戸進撃の途上に池上本門寺に駐屯した際、理境院は西郷隆盛の宿営に当てられたという。 
朗慶山照栄院 
もとは日蓮宗僧侶の教育の場として、1689年（元禄2年）に開創された南谷壇林（なんこくだんりん）が置かれていた。壇林は1869年（明治2年）に廃されたが、当時の遺構として1836年（天保7年）再建の「板頭寮」（ばんとうりょう）の建物が、同寺の庫裡として境内に現存する。同寺背後の石段（妙見坂）を上がると、かつての南谷壇林の守護鎮守として、加藤清正息女瑤林院が奉納した「妙見菩薩立像」を祀る妙見堂がある。妙見堂脇には、第二次大戦後シンガポールのチャンギー捕虜収容所で照栄院住職が教誨師を務めていた関係で、いわゆるB・C級戦犯として同地で処刑された、旧日本軍兵士・軍属を慰霊する「チャンギー殉難者慰霊塔」が祀られている。 
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飯高檀林根下谷（ねごやさく）より発生した法縁で中道庵法類と芳師法類がある。中道庵法類の中には法脈として中延法脈（縁頭寺：品川区八幡山法蓮寺）、感応寺法脈（縁頭寺：台東区光照山感応寺）、土富店法脈（縁頭寺：台東区安立山長遠寺）、大坊法脈（縁頭寺：本山本行寺）、柳島法脈（縁頭寺：墨田区妙見山法性寺）、神楽坂法脈（縁頭寺：新宿区鎮護山善國寺）、大久保法脈（縁頭寺：新宿区春時山法善寺）、等がある。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/11/post_52.html</link>
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         <pubDate>Wed, 25 Nov 2009 23:31:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title> 縄文人からの連続を示す説</title>
         <description><![CDATA[東大人類学教室の長谷部言人、鈴木尚は豊富な発掘調査をもとに、日本人が時代を通じて変化してきたこと、明治以降の例でも分かるように、混血等がなくとも急激に形質が変化しうることを示し、一見、形質が大いに異なる縄文人と弥生人の間でも、実は連続していて、外部からの大きな遺伝子の流入を仮定する必要はないと主張し、1980年代半ばまで有力な説であった（これは「変形説」と呼ばれる）。

現代では、松本秀雄がGm遺伝子の観点から、日本人の等質性を示す「日本人バイカル湖畔起源説」を提唱しており、また、ヒト白血球型抗原の遺伝子分析により、現代日本人は周辺の韓国人や台湾人よりも等質性が高い民族であるとの報告もある。 加えて、日本人（アイヌを含む北海道から沖縄県まで）は遺伝学的には大差はなく、比較的均一性が高いとする説がある。根井正利は、「現代人の起源」に関するシンポジウム（1993 京都）にて、（アイヌを含む北海道から沖縄県までの）日本人は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていないという研究結果を出した。
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考古学の観点からは、弥生早期の遺跡に外来系の土器が玄界灘に面した大きな遺跡からしか発見されていないことから、弥生人（渡来系）の人数を1割程度に見積もる研究者が多い。一方で、人類学者による研究では大量の渡来があったとされ（埴原和郎で100万人、宝来聰で65%が渡来系）、この両者の違いがあったが、人類学者の中橋孝博らによる人口シミュレーションにより、農耕民の弥生人は狩猟民である縄文人よりも人口増加率が高いことが示され、渡来が少数でも数百年で圧倒的な数になることが示された。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/11/post_51.html</link>
         <guid>http://emnm.cfefsa.org/2009/11/post_51.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sat, 07 Nov 2009 13:59:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title> 使用済み乾電池のリサイクルと廃棄</title>
         <description><![CDATA[家電量販店を始めとした回収体制が確立している充電池に比べると認知度は劣るが、乾電池はリサイクルの対象である。一例として、回収された使用済み乾電池は、資源化施設に運ばれた後製錬され、亜鉛合金、電気亜鉛、鉄等に再資源化される。一般に、自治体が担っている場合が多く、公共施設の入り口付近に回収ボックスが設置されている場合が多い。

マンガンなどの希少金属を再生・再資源化する為に拠点回収する等、蛍光灯等の有害ゴミと同様に回収する市町村・小売店も多い。
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現在日本で生産されている乾電池には水銀が含まれていないため、廃棄する場合は、特に大都市部などでは不燃ごみとして回収しているところが多く、これらの地域のホームセンターや家電量販店などでは乾電池の正しい使用法を啓発するビデオや手引書の中でも、粘着テープ等で電極を絶縁してから不燃ごみとして廃棄するように示されている。

日本では、マンガン乾電池は1991年、アルカリ乾電池は1992年から、水銀は使用されていない。ボタン形酸化銀電池は、無水銀化した物を2005年にソニー株式会社が商品化させた。2005年1月から、10種を全世界で順次販売する。ただし設備が水銀使用電池と共用なので、微量の水銀が検出されることもあり得る。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/10/post_50.html</link>
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         <pubDate>Thu, 29 Oct 2009 15:29:30 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>害鳥</title>
         <description><![CDATA[害鳥（がいちょう）とは、人間（ヒト）や、ペット、農産物などに悪影響を与える鳥の事を言う。役に立つものは益鳥ということがある。

田畑や果樹園において収穫前の穀物や野菜、果物を食い荒らすといった例がある。食い荒らされた農産物はもちろん売り物にはならない。
鳥の糞により金属（トタンなど）が腐食してしまったり、また、土壌が汚染されたりする。
小動物が大型の鳥に襲われることもある。猛禽類は家畜や家禽を狙う場合があり、害鳥扱いされる場合がある。
渡り鳥は遠方から病原体を運んでくることがあり、例として鳥インフルエンザなどがある。
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集団営巣する種では、糞がその環境全般に強い影響を与える例がある。アオサギやカワウは水辺の樹上に巣をかけるため、集団営巣地では樹木の上が真っ白になるほどに糞をかぶり、森林が荒廃する例が多々ある。
駆除といっても、鳥獣保護法により鳥類は簡単には殺せないことになっている。日本では野生種においては自由に殺すことが認められている鳥類は存在しない。特定の狩猟鳥や観賞用の鳥が、それぞれ特定の方法と数の範囲でとることを認められている。したがって、明確な被害が出た場合にもおいそれと駆除することはでず、追い払うという対策をとる場合が多い。そのためにはかかしや磁石、反射材などが使われる。
また、駆除できないために被害の補償金を要求する、という形の対応もよく見られるところである。]]></description>
         <link>http://emnm.cfefsa.org/2009/10/post_49.html</link>
         <guid>http://emnm.cfefsa.org/2009/10/post_49.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 19 Oct 2009 00:07:45 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>円石藻の研究は1800年代のエーレンベルク</title>
         <description><![CDATA[円石藻の研究は1800年代のエーレンベルクや Huxley にまで遡るが、これらはいずれも化石や堆積物としての円石を対象としたものであった。円石は低マグネシウム含有性の炭酸カルシウムであり、化石化しやすい。

円石藻が死ぬと円石は沈降してゆくが、大部分の円石は海底に到達する前に溶解してしまう。円石が堆積物として大量に集積する為には、動物プランクトンなどに捕食されて糞として固められる（いわゆる fecal pellet となる）必要がある。沈降した円石は年月を経て石灰岩となり、ドーバー海峡に見られるような白亜、つまり天然のチョークの露頭を示す。

円石藻の化石は三畳紀?現代に至る各層から発見されている。円石藻が最も栄えたのはジュラ紀?白亜紀にかけてであるが、恐竜類が絶滅したK-T境界において、円石藻もその8割の種が失われたと言われている。新生代にはディスコアスター（Discoaster）と呼ばれる放射総称の円石を持つ円石藻が栄えたが、個々の円石は発見されるもののコッコスフィアを維持している例は無く、円石藻とは全く別の生物に由来する可能性も残っている。

 分類と各群の特徴 [編集]
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<a href='http://habntf.e-seo2000.com/'>オリンピックの驚き</a>
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<a href='http://eieefe.rccgiu.biz/'>ソフトボール</a>

 イソクリシス目（Isochrysidales）の円石藻 [編集]
全てノエラエラブダス科（Noelaerhabdaceae）に含まれる。現生種としては3属が知られる。

Genus Emiliania エミリアニア属 
およそ20万年前に Gephyrocapsa 属から分岐したとされる新しい属。現生の E. huxleyi は最も有名な円石藻であるが、既に化石種となった種も存在する。 
E. huxleyi ：最大のバイオマスを誇る円石藻であり、しばしばブルームを形成する。多くの亜種が知られている。本種のゲノムプロジェクトも進行中である 
Genus Gephyrocapsa ゲフィロカプサ属 
日本近海で良く見られる円石藻。Emiliania 属と非常に近縁で、両者の18S rRNA配列およそ1800bpは完全に一致する。円石にブリッジと呼ばれる構造を持つ点が最大の特徴である。 
G. oceanica ：最も普通な種。 
G. ericsonii ：G. oceanica よりも小型で外洋を好む。沿岸域での出現は稀。 
G. muellerae ：大型の種。G. oceanica より重厚な円石を形成する。 
G. protohuxleyi ：名前の通り、Emiliania と Gephyrocapsa の中間的な形態を示す種。ただし、これが Emiliania 属の直接の祖先であるという証拠はない 
Genus Reticulofenestra レティキュロフェネストラ属 
出現年代は上記2種よりも古く、これらの祖先であるとされている。大部分は化石種であるが、ただ一種 R. sessilis のみが現生種として残っている。 
R. sessilis ：中心目の珪藻 Thalassiosira に集団で寄生する変わった円石藻。寄生性の円石藻はこの一種のみである。 

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         <pubDate>Fri, 19 Jun 2009 06:26:49 +0900</pubDate>
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         <title>日清修好条規と琉球帰属問題</title>
         <description><![CDATA[明治政府は朝鮮との国交問題解決のためにも、まず朝鮮の宗主国である清と対等の国交条約を結び、その冊封関係を利用して朝鮮と交渉するという方針をたて、清の直隷総督李鴻章との間で1871年9月日清修好条規及び通商章程を締結した。これは使節の交換と領事駐在および限定的な領事裁判権、開港と通商および協定関税率を相互に認めるという平等条約であった。その第二条は「両国好みを通ぜし上は---若し他国より不公及び軽藐する事有る時、其の知らせを為さば、何れも互いに相助け」と、両国が当時おかれていた西欧列強による脅威を前提に相互扶助を誓約するものであった。

他方両国には琉球王国の日清両属という領土問題での懸案もあった。琉球王国は明（1644年滅亡）の冊封を受け東アジア諸国との交易により繁栄していたが、1609年薩摩藩の島津氏による侵攻を受け奄美諸島を薩摩藩の領土として割譲されたうえ琉球は事実上薩摩藩の属国となり、明や清との朝貢貿易の利益のため江戸幕府と中国への両属とする体制が幕末までつづいた。 1871年7月の廃藩置県により琉球は鹿児島県に一応編入され、翌1872年9月琉球藩を設置し国王を藩王として華族に列する冊封詔書が授けられたが、この後も琉球の日清両属の状態は続き、さきに1871年琉球船が難破し台湾南部へ漂着した際、先住民による琉球島民殺害事件が発生していたが明治政府はそれを解決できないまま数年が経過した。
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すでに18世紀末、仙台藩の林子平は海国兵談で海防論を説き、幕末には経済学者佐藤信淵は土地国有化と海外進出を行う絶対主義国家を論じ、吉田松陰は幽囚録で蝦夷地開拓とともにカムチャッカ半島、朝鮮、台湾、満州等への侵略統治論を展開していた。それらの主張は尊王攘夷運動と明治初期の薩長藩閥政府にも少なからぬ影響を与え、朝鮮との国交交渉が進展しない明治政府内で武力による開国を迫るいわゆる征韓論が台頭した。

1873年6月の閣議(いわゆる留守政府)において参議板垣退助が交渉の行きづまりを打開するため陸軍一大隊の朝鮮への派遣を主張、西郷隆盛は使節の派遣と自らその職への任命を主張、その後岩倉具視が帰国し内治優先の立場から使節派遣に反対の上奏をし、明治天皇の裁可により派遣延期となり参議西郷、板垣らが辞職する事態となった。(詳しくは征韓論、明治六年政変、西郷隆盛を参照)また大久保達はこれ以降、政治の実権を握る事になったが、いわゆる「征韓論」に対しては大久保らも、交渉決裂に際して朝鮮半島での武力行使の方針自体には反対ではなかった。 この征韓論には1871年廃藩置県によって武士としての職を失った士族の不満が背景にあり、以後1873年徴兵令公布、1876年廃刀令、秩禄処分に至る過程で士族反乱が相次ぎ明治政府はこうした不満を海外に向ける必要もあった。

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         <pubDate>Mon, 01 Jun 2009 13:24:04 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>平泉寺白山神社</title>
         <description><![CDATA[平泉寺白山神社（へいせんじはくさんじんじゃ）は、福井県勝山市（旧平泉寺村）に所在する神社。正式な社名は白山神社。本殿に伊奘冊尊、本殿右の別山社に天忍穂耳尊、左の越南知社（おおなむちしゃ）に大己貴尊（大国主命）を祀る。第3代宮司の平泉澄は、元東京帝国大学国史学科教授の歴史学者。

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養老元年（717年）、泰澄によって開かれたという。中世以降比叡山延暦寺の勢力下に入り、平泉寺として知られるようになる。白山信仰の越前側の拠点（越前馬場）として、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市となり、越前国においては朝倉氏と肩を並べる一大勢力であった。天正2年（1574年）、一向一揆勢に焼き討ちされ衰亡。その後、豊臣秀吉などの崇敬を受けて再興し、明治時代に神仏分離令により寺号を捨て現在に至る。

境内の苔は西芳寺と共に有名。旧玄成院（別当・平泉宮司邸）庭園は、昭和5年に国指定名勝。境内は「白山平泉寺城跡」として国の史跡（昭和10年）、「白山平泉寺旧境内」として国の史跡（平成9年）に指定されており、白山国立公園内にある。「美しい日本の歴史的風土百選」（平成19年）、「かおり風景百選」（平成13年）に指定され、参道が日本の道百選（昭和61年）に、白山までの道が「歴史の道百選」（平成8年、平泉寺から白山までの白山禅定道）に指定された。

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         <pubDate>Wed, 29 Apr 2009 12:27:13 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>八卦掌</title>
         <description><![CDATA[八卦掌（はっけしょう、Bāguázhǎng）とは、中国武術の内家拳の一つ。

古くは『川掌』、『転掌』、また臂を伸ばして円周上を回る姿が石臼を漕いでいるように見えるので『推磨門』と称された。現在は分派により、八卦六十四掌、遊身八卦連環掌、揉身八卦遊身掌など様々な呼び方があり、「八卦掌」はそれらの総称である。名称からわかるように、動作の根本原理を周易の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。

八卦掌は名前の通り「拳」（こぶし）よりも「掌」（てのひら）を多用するのだが、掌に限定するわけでなく拳も用いられる。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を流しやすくするために指先を大きく広げて構える形や、隠し武器（暗器）や指先で相手の急所を突くために指先をそろえて構える形など、門派により様々である。

技の数は非常に多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。また、技の数は多いが、その中で一つだけ「A」という技だけをピックアップして練習することもできる一方、全く違う「B」や「C」などの他のあらゆる技と組み合わせて練習することも可能であり、動作を次々と移ることもできるように作られているという特徴を持つ千変万化の拳法といわれる。はじめに基本動作である「扣擺歩」、扣擺歩を連続させて円周上を歩く「走圏 (Zǒuquán)」、歩く方向を変換する際に行う「換掌式」、特定の姿勢で走圏を行う「定勢八掌」、定勢八掌の変化である「八母掌」を練習する。その後さまざまな套路（八母掌の幾つかの動作を連結させたもの）や、武器術（子母鶏爪鋭、八卦大刀、八卦粘身槍、八卦奇門槍、八卦剣、八卦棍、子母鴛鴦鍼、八卦判官筆、八卦七星杆ets.）などがある。

走圏の1例では、初期には円周上を遅く歩き足腰の鍛錬をし、長じて早く走り全身持久力（スタミナ）と敏捷性をつける。実際の戦闘時には敵の周囲を人一倍走り回りながら攻撃するために必要な持久力を養成する意味と、瞬時に無数の攻撃を行うための敏捷性を養う意味がある。そのため八卦掌を会得するには敏捷性、持久力を養成するために習得するまで時間がかかると言われている。

中国天津市に伝わる八卦掌の分派では易の理論に基づき先天・後天の二つに別れ、それぞれ先天八卦（力を抜ききった状態でふわふわと型を演ずる）、後天八卦（八極拳のように震脚をし剛猛に演ずる）にわけそれぞれ錬磨する。

基本的な構成は『走圏』→『換掌式』→『八種類の走圏（定勢八掌）』→『対応する八種類の掌法（八母掌）』→『八種類の掌法の変化(八母掌の直線/旋転変化)』であるが、その名称・動作・要求は派によって大きく異なる。これは伝承時期(初期の弟子と後期の弟子では内容が大きく異なる）によるものと、伝承者が八卦掌を学ぶ以前に修めていた武術の技術を加味した為である。 　

以下代表的な二派を例に挙げる。

尹派八卦掌（東城派）

特徴??牛舌掌（中指を中心に四指を伸ばし揃えた掌型。親指の配置は伝承者によって異なる。蛇頭掌とも称する）、鶴行歩。

内容??走圏、換掌、定勢八掌（塌掌・穿掌・推掌・托掌・劈掌・『手肅』掌・双合掌・鑽掌）、

八母掌（塌掌・穿掌・推掌・托掌・劈掌・『手肅』掌・双合掌・鑽掌）、六十四手、十二連腿、七十二裁腿、羅漢拳等。

程派八卦掌（南城派）

特徴??龍爪掌（五指を分開し丸みを帯びさせた掌型。打つ/抓むといった変化が容易い）、鶏行歩。

内容??走圏、単換掌、転掌（猛虎推山・大鵬展翅・獅子張口・白猿献花・力推八馬・懐中抱月・指天挿地・青龍探爪）、

八大掌（蛇形順掌式・龍形穿掌式・回身打虎掌・燕翻蓋手掌・転身反背掌・擰身探馬掌・翻身背挿掌・停身搬扣掌）

六十四掌、七十二裁腿他。

 歴史 [編集]
成立年代は19世紀の前半（清朝後期のころ。）と言われており、創始者は紫禁城の宦官であった董海川とされる。当時、董海川自身が「八卦掌」という名称を用いていたかどうかは定かでなく、その名称自体は後世になってから定着したものと考えられる。董海川は後に粛親王府の護院の長となったと伝えられているが、確かな記録はまだ見つかっていない。

八卦掌の源流を道教の修行法とする人や他の拳術とする人もいるが、実際の所はわからない。成立過程の一つに羅漢拳が挙げられることもある。八卦拳を標榜する派、特に宮宝田派がこの説にこだわっている。二代目の尹福が羅漢拳を身につけていたからだが、開祖の董海川が羅漢拳を身につけていた形跡は見られないので、これも一つの伝説にしか過ぎない。

別説では羅漢拳等、少林拳系の拳を初代、董海川より2代に渡り継承し易の理論に沿い8種の直線状に歩く套路に整理し、鍛錬法として円周上を歩く走圏を取り入れたのが八卦掌の初期、源流の姿とみられる。そしてそれが時代とともに円周上で套路を演じる現代の八卦掌へと変化した。だが中国大陸伝承の尹福派や宮宝田派は少林系の拳法そのままの直線上の套路なのに対し、程延華派は円周上で套路を演じるだけとなっている。 要は程が少林拳的な基礎である部分を削除したために円周上のみの套路になってしまい、それが主流として大きく広がり、流派によって大まかな差異を生み出してしまっているとみられている。

(＊ある技術が自派にのみ伝わり、他派に伝わっていないので自派が正統だとするのは武術の流派によく見られる言い方だが、その正当性を客観的に証明するのは困難である)

董一族の住処であった村に八番拳というものが伝えられており、これが八卦掌の源流ではないかと北京体育大学の康戈武教授が論文を書いている。この八番拳に道教の円を巡る修行法・禹歩が加えられ走圏となったのではないかと推測している。また八番拳の套路には八母掌（八大掌）との共通性が見られるという。 かなり濃厚な説だが証明は難しい。

他門派に比べて新しいこともあり、八卦掌の技術は他門派の優れた技術を多く取り入れている節がある。八卦掌は、他の「内家拳」門派と比べて練習体系が公開されていない為か、他の門派よりも一層神秘的に見られていることが多く、また動きが優雅なので誤解が多いが、実際には極めて攻撃的である。変化に富むのが特徴で、一般的に太極拳は柔らかい、形意拳は剛直と見られており、太極拳は柔を表す皮革球、形意拳は剛を表す鉄球に喩えられ、八卦掌は鋼の糸を編んだ鉄糸球と喩えられるが如く、剛でもあり柔でもある。

形意拳一門と八卦掌一門が試合をしたとき全く勝敗がつかなかったため両者が話し合ったところ、共に同じ原理に基づく武術であると分かり、その後互いに相手の武術も修行することになったとの伝説が語られている。おそらくは程廷華が形意拳家と多くの交流をもったために生じた伝説だが、程廷華の交友関係により郭雲深、李存義、張占魁、孫禄堂等の形意拳との交流が多くなり、歴史的にも技術的な影響を形意拳から受けている派が多くなったことは事実である。

 門派 [編集]
八卦掌の門派は甚だ多い。 その理由としては、董海川の元に集まった各地の達人たちに対して、董海川は各達人がそれまで学んできた武術にあわせて教授した点が挙げられる。よって、投げ技が主体の門派や打撃が主体の門派など、門派によって動作に大きな違いが見られる。 開祖の董海川の門生は（以下、拝師した順に）

尹福（大弟子、呼称『痩尹』）、馬維祺（呼称『煤馬』）、史計棟（呼称『賊腿史六』）、程廷華（呼称『眼鏡程』）

宋長栄、孫天章、劉登科、焦毓隆、谷毓山、馬存志、張釣、秦玉寛、劉登甲、呂成徳、安份、夏明徳、耿永山、魏吉祥、錫坤、王辛盛、王素清、沈長寿、王徳義、宋紫云、宋永祥、李万有、樊志湧、宋龍海、王永泰、彭連貴、傳鎮海、王鴻兵、谷歩云、陳春林、王廷桔、双福、李長盛、徐兆祥、劉宝貞、梁振蒲、張英山、郭玉亭、趙云祥、張金奎、焦春芳、劉鳳春、司元功、張鋒、清山、何五、何六、郭通海、徐鶴年、馮原廉、李寿年、孫泮。

小門生（寿字輩で董海川より指導を受けた者）には

張逸民、馬貴（尹福弟子）、楊峻峰（尹福弟子）、劉金印、文志、奎玉、王志、世亭、居慶元（尹福弟子）、劉印章、耿玉林。

また碑上に記載されていない門生として全凱亭、劉徳寛、李存義、張占魁等が居る。

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         <pubDate>Tue, 14 Apr 2009 09:26:16 +0900</pubDate>
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         <title>一般芸能界との関連</title>
         <description><![CDATA[AV女優は、一般のテレビ局が制作するドラマ番組などに出演依頼が来る事もあるが、そのほとんどは「裸体を見せる必要性」からサスペンスドラマにおける全裸死体の役や入浴シーンのエキストラ役、その他でも時代劇での脇役の遊女の役（同じ遊女や風俗嬢の役であっても物語の中心を担う役であれば通常の女優が充てられる）となっている。最近では深夜放送のドラマやバラエティー番組に有名AV女優がレギュラーやゲストで出演する事も珍しくはなくなって来ており、芸能界へ芸能人としてステップアップした例は飯島愛や及川奈央などで増え続けている。特にテレビよりVシネマに共通の傾向で「SMもレイプもOKだが、Vシネマの出演だけはNG」と言うAV女優は多い。しかし、そういった芸能女優が嫌がる役も積極的にこなす点でテレビ業界にとっては貴重な存在である。
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また、テレビ番組関連媒体の出演者プロフィールにも職歴を「AV女優」ではなく「モデル」「セクシータレント」などと記載される事が多い。AV女優である事を本人が隠したい場合もあると思われるが、元AV女優又は現役AV女優である事を公言している者もその様に表記される事も多く、番組制作サイドがイメージダウンを避けて表記している可能性が高いと思われる。

以下に芸能人のAV女優への転向及びAV女優の芸能挑戦の例を示す。AV女優の芸能としてのチャレンジの例や芸能人のAV参入の例など「少しグラビアの仕事をした事がある」程度の人間まで含めると膨大な人数となるため、本項では希志あいのなど転身が特に話題になった者以外はAV以前の活動期間が2年未満のものは除く（カッコ内はAVデビュー時期）。一方で、元々AV女優になる前提で最初だけグラビアアイドルや芸能もどきの活動を行い、知名度を得たところでAV女優に転身するという「芸能カラー｣を漂わせた（つまりハク付けの）ケースも多く、実態をよくよく見極めれば『本物の芸能人のAV転向』は極めて少ない。

元スポーツ選手・元一般芸能人 
東城えみ（2005年10月20日） - プロレスラー（JDスター女子プロレス アストレス2期生） 
荒井美恵子（2006年10月19日） - タレント・グラビアアイドル・歌手（ギリギリガールズ） 
瀬戸恵子（1998年）? タレント（『欽ちゃんのどこまでやるの!?』などに出演） 
桜樹ルイ（1989年4月） - アイドルタレント、おニャン子クラブのオーディション出演経験あり 
山崎亜美（2007年2月8日） - 子役アイドル（ねずみっ子クラブメンバー、千夏名義の出演も） 
きこうでんみさ（2007年5月3日） - アキバ系アイドル 
桜一菜 - NHK教育テレビ『真剣10代しゃべり場』に出演 
桃咲あい（江藤ひな）- モーニング娘。の最終オーディションまで通ったという触れ込み。 
平井まりあ - テレビ番組「恋のから騒ぎ」に出演 
峰なゆか - 同上 
CHACO（2004年10月14日）- 制服向上委員会3期生 
小沢なつき（2004年4月30日）- 「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」主演 
葉山レイコ（1988年9月24日）- AV引退後はNHK教育テレビの語学番組に出演 
矢吹まりな - 「黒BUTAオールスターズ」 
萩原舞（2003年9月12日） 
北島優（2004年4月23日） 
桃瀬えみる（2006年7月21日） 
みひろ（2005年1月28日） 
YUKA（2004年3月26日）- 「小島由佳」という芸名で「岸和田少年愚連隊」「カオルちゃん最強伝説 番長足球」「棒 Bastoni」などに出演 
聖乃マリア - 「井上麻衣」という芸名で女優として活動していた。 
青木りん（2006年5月7日） 
範田紗々（2006年7月6日） 
櫻井ゆうこ（2007年1月5日） 
板垣あずさ（2007年11月8日） - グラビアアイドル時代の芸名は「板垣梓」。制コレ'04ノミネート 
灘坂舞（2007年） 
琴乃（2007年4月5日）- プチエンジェル第2期生 
希志あいの（2008年2月22日） 
麻生美由樹 
三枝実央 
佳山三花（2008年10月31日） - グラビアアイドル時代の芸名は「小田有紗」。 
Hitomi （2008年11月6日）- グラビアアイドル時代は「田中瞳」の芸名で活動していた。 
一般芸能界への進出 
飯島愛 - タレントとして活躍。「Tバックの女王」。自伝本『プラトニック・セックス』がベストセラーに。2007年3月に芸能界を引退した。 
黒木香 - 横浜国立大学在籍として、一種の文化人的なポジションでテレビに積極出演していた時期がある（1980年代末）。当時はAVが社会現象的に普及した時期で、盟友と見られたAV監督の村西とおるとセットで、1980年代はかなりの頻度でテレビ出演を行っていた。 
墨田ユキ・高樹マリア - 一般作に出演。 
小林ひとみ・葉山レイコ・朝岡実嶺 - 一般のドラマや一般映画に出演。 
北原多香子・宝月ひかる・吉沢明歩・春咲あずみ・恋小夜・柚木ティナ（Rio）・穂花・前嶋美歩・立花里子・宮路ナオミ・松嶋れいな・赤西涼 - グラビアアイドルとして活躍。これ以外にも主なAV女優がDVD「エクシタシー」にてグラビアアイドルとしての挑戦を受けている。 
最近では及川奈央・夏目ナナ・蒼井そら・小澤マリア・長澤つぐみらが一般芸能界に進出又は掛け持ちを行っている
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         <pubDate>Mon, 30 Mar 2009 10:40:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エヴォラ</title>
         <description><![CDATA[エヴォラ (Évora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町である。人口は、55,619人。面積は、1307.0平方キロメートルであり、スペイン国境に近い。

旧市街は1986年に、ユネスコの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録された歴史ある街である。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもある。

 ローマ時代 [編集]
アレンテージョ地方は、テージョ川の南に広がる平野地帯であり、エヴォラは、河口に位置するポルトガルの首都リスボンより東に約130?の所に位置している。旧市街の史跡の保存状態も良く、UNESCOの世界文化遺産に登録された。

エヴォラの歴史は、ドウロ川以南のポルトガル及びスペインのエストレマドゥーラ州に居住していたイベリア半島の先住民族であるルシタニア人(en:Lusitanians)が建設したことに始まる。彼らによって、アレンテージョ地方の首都として機能をエヴォラは持つこととなった。

紀元前57年、エヴォラは、共和制ローマの支配下に入った。これ以降、エヴォラは2重の城壁を持った町へ発展を遂げた。ガイウス・ユリウス・カエサルは、エヴォラの町を「Liberalitas Julia（肥沃なるジュリア）」と呼んだ。町の成長は、エヴォラが交易路の交差点であったことからも続き、ガリア、ルシタニアを旅行した博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス（大プリニウス）も、エヴォラを訪問し、著書『博物誌』に「Ebora Cerealis」として、記述した。その記述によると、当時のエヴォラは、周囲を小麦畑で囲まれていたことが分かる。また、エヴォラの繁栄は、この当時に多く発行されたコインでも明らかである。町の中心部には、コリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られた。

ローマからイスラームへ [編集]
4世紀になると、エヴォラにもキリスト教が浸透し、司教座を持つようになった。その名前は、クインティアヌス（Quintianus）と呼ばれた。
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民族移動時代の間、エヴォラは、西ゴート族の領土となった。エヴォラの地位は、聖堂を持つ都市へと昇格していた。とはいえ、この時代の建造物は多く残されていない。

715年、ターリク・イブン・ズィヤード率いるムーア人が、エヴォラを征服した。イスラームの統治は、1165年にまで及んだが、エヴォラはゆっくりとではあるが、繁栄を取り戻していった。エヴォラは要塞とモスクを持つ町となり、この地方の農業の中心地となった。エヴォラの町の特徴は、ムーア人の影響を受けている。

 レコンキスタ以降 [編集]
1165年9月、ジェラルド豪胆王(pt:Geraldo Sem Pavor)の攻撃を受けた。翌年、エヴォラは、アフォンソ1世の統治下に入った。その後、15世紀にかけて、ポルトガルは経済的繁栄を築くが、ブルゴーニュ王朝・アヴィシュ王朝の時代を通して、ポルトガル国王はエヴォラに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設された。エヴォラでは、王族の結婚式が行われ、また、重要な決定もしばしば行われた。

特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、エヴォラはルネサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌ(en:Nicolau Chanterene)やポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィセンテ(en:Gil Vicente)といった芸術家が集まった。

エヴォラは、1540年に大司教座に昇格した。1559年には、イエズス会によってエヴォラ大学が創設された。イエズス会の影響の下、エヴォラは対抗改革の中心となり、スペインのクエンカで生まれたルイス・モリーナ（en:Luis Molina)などが、ここで宗教教育を受けた。

1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されると、エヴォラは徐々に衰退していった。（なお、エヴォラ大学は1973年に再建された。）

多くの芸術家によって、たくさんの建物がエヴォラの地に建設された。現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々である。

現在、歴史地区の範囲は1.05平方?であり、約4000の建物がある。
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         <pubDate>Sat, 14 Mar 2009 14:19:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>CODE-E</title>
         <description><![CDATA[CODE-E 
本人の意志に関係なく発動する特殊能力のため、ヒロインは否応なくトラブル（電化製品にノイズを発生させたり、壊したりしてしまう）を引き起こしてしまう。ヒロインと科学バカの男子生徒とのドタバタラブコメである。 
CODE-EX 
ヒロインと同じ能力を持つ友人に視点をうつし、彼女と彼女のもとにやってきた少年、さらに彼女の特殊能力をとりまくある組織との因縁と、いつしか芽生えた2人の絆を描いた物語である。 
Mission-E 
特殊能力をいかし、同じ力を持つ人と持たない人との共存を目指して戦う2人のヒロイン。5年前の事件を巡る因縁と誤解、力を持つ者を排除しようとする組織との戦いを描いたサイバーアクションストーリーである。 
CODE-E 遥かなる囁き 
特殊能力によって微妙に隔てられた幼馴染同士の関係を描いたラブストーリーである。 

あらすじ
CODE-E 
電磁波事件多発! 疑わしきは転校生? 
舞台は隕石が落下してから20年後の2017年[1]。 
吉祥寺にある高校に転校することになった海老原千波美は、感情が高ぶると周囲の電子機器を狂わせる能力『TYPE-E』の持ち主だった。 
CODE-EX 
CODE-Eの3年後、由真のもとに治療のためにやってきた少年、遠野克紀。しかし彼には由真達とは切っても切り離すことの出来ない大きな事情を抱えていた。そしてさらわれた克紀、由真は克紀を救うことが出来るのか。 
Mission-E 
CODE-Eの5年後[2]の2022年。千波美は麻織とともに「OZ」のエージェントとして、TYPE-Eを敵視する「ファウンデーション」からTYPE-E能力を持つ人々を守る日々を送っていた。 
CODE-E 遥かなる囁き 
CODE-Eの半年後、相手に触れることで思考を読み取れる接触テレパスである澪は、人に触れること極度にを恐れていた。幼馴染の直弥とも2メートル以内には近付かず、友達以上・恋人未満の関係のままだった…。しかし、千波美たちとの出会いが変化をもたらし、ついに奇蹟が起こる。 

登場人物
CODE-E・Mission-Eの登場人物
海老原 千波美（えびはら ちなみ） 
声 - 橋本まい 
CODE-Eでの主人公。身体から電磁波を発する（実際は神経電流を外部に放出する）TYPE-Eの能力を持つが、その能力が原因で転校を繰り返してきた。真面目で気が弱いため、余計に感情が高ぶり易く、謝り癖が付いてしまっている。安満沢村の事件後は「OZ］のエージェントとして活動し、光太郎とは遠距離恋愛中だったが、あまりのバカップルぶりと進展の無さにしびれを切らした園美によって半ば強制的に婚約させられた。また、由真の元で体術の訓練を積んだ成果から身体能力は上がったが未だにドジである。 
君塚 麻織（きみづか まおり） 
声 - 稲村優奈 
Mission-Eでの主人公でTYPE-E能力者。千波美たちの通っていた高校に通いながら驚異的な身体能力を武器に「OZ」のエージェントとして千波美と行動している。千波美とケンカして一時OZを離脱したときに助けられて以降、アドルに恋心を抱いている。CODE-Eでも愛犬のろろたと共に作中で毎回登場し、エンディング映像にもただ1人出ていたが、当時は名前は登場せず、エンディングテーマの歌い手としてクレジットされるのみだった。 
斎橋 由真（さいはし ゆま） 
声 - 水野理紗 
CODE-EXでの主人公でTYPE-E能力者。神社の家に生まれ、弓道, 合気道, 古武術をたしなむ傍ら、自らの能力で近所の人たちにマッサージ治療を施している。史上初めて確認されたTYPE-Eであり、幼少時には赤松教授の人体実験の実験道具にされた辛い過去を持つ。千波美との出会いや克紀をめぐる一件を機に自分の能力に前向きになれるようになった。一件クールだが実は誰よりも世話好きでお節介な性格で、克紀に告白されてからは克紀のことになると取り乱す一面もある。何故か1970年代のSF映画に詳しい。巫女を務めながら「OZ」にエージェントや操縦士（ヘリコプターやクルーザーの操縦資格を持っている）として協力している。 
巫 光太郎（かんなぎ こうたろう） 
声 - 野村勝人 
科学バカ。楽天家で朴念仁。恋愛感情には疎く、園美の想いにも気付いていなかった。転校してきた千波美の特殊体質に気付き、研究をしていくうちに恋に落ち、安満沢村の一件以降はすっかりバカップルとなっている。その後は大学で神経系の知識を身につけたのち、園美らと共にOZを設立、北海道研究所の主任を務めているが、野菜の仕送りの度に本部に来ている（そのため、「野菜が届いた」という言葉は半ば「光太郎が来た」という隠語と化している）。「科学は人のためにある」が信条で座右の銘。 
九条 園美（くじょう そのみ） 
声 - 名塚佳織 
あだ名は「そのその」。大金持ちのお嬢様で、光太郎の幼なじみで千波美が転校してくるまでは、好意を抱いていたが、光太郎の千波美への思いを受け入れたあとはスッパリ諦め、さっさと新しい恋人を作ってそのまま結婚してしまった（現在は一児の母）。ライバルだった千波美のこともそれ以降は親友として大切に思っているが、光太郎ともどもバカップルぶりと朴念仁ぶりにはイライラさせられっぱなしである。事件後、ファウンデーションの手からTYPE-E能力を持つ人々を守り手助けをする組織「OZ」を設立、良家の強みを生かした人脈も武器に代表として手腕を振るっている。 
アドル・ブリンベルケ 
声 - 神谷浩史 
ミリスの双子の弟。千波美たちの学校に転入して来たドイツの留学生。千波美の情報を収集するために北欧のブリンガルドから来日した。事件後、「OZ」の対抗組織、ファウンデーションのエージェントとなる。姉であるミリスの件で、千波美を恨んでいる（ただし、本心ではファウンデーションの実験が原因だと言うことは知っていたが、麻織の想いを知るまで素直になれなかった）。犬のろろたが苦手。 
柊 登喜雄（ひいらぎ ときお） 
声 - 矢尾一樹 
ファウンデーション創設者。赤松の危険な実験の影響からかTYPE-E能力を持つ人々に異常なまでの敵愾心を見せ、TYPE-Eを危険な存在だと信じ続けている。そして最終的にTYPE-Eを世間に公表しようとしていた。 
鬼里久（きりく） 
声 - 遊佐浩二 
ファウンデーションのエージェント。少年時代に受けた赤松の実験によって男でありながらTYPE-E能力を持っている。赤松逮捕後はファウンデーション入りし、OZとの抗争状態を楽しんでいる。 
漆丙五郎（うるし へいごろう） 
声 - 上別府仁資 
OZに園美の秘書兼参謀として務める中年の男性。膨大なデータを処理・解析し作戦の軸となっている。 
小松菜 圭子（こまつな けいこ） 
声 - 桃井はるこ 
千波美の高校時代のクラスメイト。世話焼きで、転校して来た千波美にあれこれ教えてくれた。その後、麻織の通う学校の保険医となり、生徒からも人気がある。TYPE-Eのことは未だに知らない。恋人がいる模様。 
戸隠美雪（とがくし　みゆき） 
声　-中山さら 
麻織のクラスメイトで、周囲から孤立していた麻織を気にかけていたが、麻織が心を開くようになって友人となることができ、その後は一緒に買い物をしたり宿題を一緒にやる仲となった。 
ミリス・ブリンベルケ 
声 - 豊口めぐみ 
アドルの双子の姉。お家再興が目的で、アドルと同様に留学生として千波美の特異体質の情報を収集するためにやって来た。事件後、意識不明となるも回復するが、植物状態に近い状態になる。 
勝浦美春（かつうら みはる） 
声 - 浅川悠 
OZにお世話になったOL。社会復帰のための適合訓練を受けた後、OZにエージェントとして再就職した。 
倉本茜（くらもと あかね） 
声 - 天野由梨 
ファウンデーションと繋がりをもつTYPE-E能力者。その行動や情報源には謎が多く、麻織達の手助けをすることもあった。しかし、麻織には嫌われている。 
海老原 啓介（えびはら けいすけ） 
声 - 塩屋浩三 
千波美の父親。小説家で東京と大阪を行き来しながら、普段は地下に篭って原稿を書いている。 
海老原 美月（えびはら みつき） 
声 - 平松晶子 
千波美の母親。仕事が忙しく家事全般を千波美に任せている。千波美の体質のことを夫婦共々いつも心配している。 

CODE-EXの登場人物
遠野克紀（とおの かつき） 
主要人物の1人で中学生。交通事故が原因で負った突発的に全身が麻痺する病気の治療のために由真と知り合い、最初は煙たがっていたが次第に惹かれあっていった。実は柊の息子で（親が離婚して親権が母にあるため遠野姓である）それが原因で赤松にさらわれたが由真に助けられた。その後千波美たちの通った高校に進み、由真とも恋人同士となった模様。Mission-Eの最終話にも登場した。 
赤松（あかまつ） 
TYPE-E研究のかつての第一人者。大学病院の教授をしていた頃に幼少時の由真のTYPE-E能力を発見、興味本位で実験を重ねてきたが、男性をTYPE-Eにするという人体実験を行ったことで糾弾され、指名手配される。被検体であった鬼里久と共に姿を眩ませていたが、克紀をさらって実験対象にしようとしたことをきっかけに投獄され、その後獄中死した模様。 
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紬（つむぎ） 
由真の恩人で、武術の師匠。酒癖が悪く由真をからかうことも多いがしっかりと気にかけている。武術の腕を磨きすぎたせいで人を「倒す対象」としか見られなくなってしまったため、由真には同じようにならないで欲しいと思っている。 

CODE-E 遥かなる囁きの登場人物
萱村澪（かやむら みお） 
CODE-E 遥かなる囁きの主人公で電磁波の感知に特化したTYPE-E能力者。対象者に触れることで表層意識を読み取ることができる接触型テレパスであり、接触を極度に避けている。接触していないにもかかわらずどこからか聞こえてくる「天使の声」の正体を探して千波美たちに出会う。 
古賀直弥（こが なおや） 
澪の幼馴染み。能力が発現した頃に澪に対し嫌悪感を抱かなかった唯一の人物であり、そのことから澪の両親に澪の面倒をみるよう頼まれている。 
鍋島綾乃（なべしま あやの） 
澪のクラスの女子の中心人物。澪が接触を避けるのは他人を汚いと考えているからだと誤解している。 
峰岸沙織（みねぎし さおり） 
綾乃のグループの一人で直弥に好意をもつ。 
鹿原輝明（かはら てるあき） 
直弥の隣の席の男子生徒。綾乃に好意をもつ。 
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         <pubDate>Thu, 26 Feb 2009 11:29:05 +0900</pubDate>
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         <title>新羅、半島北部の高句麗</title>
         <description><![CDATA[新羅（しらぎ[1]／しんら／シルラ、紀元356年[2]- 935年）は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。新羅、半島北部の高句麗、半島南西部の百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を朝鮮半島における三国時代という。
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7世紀中ごろに朝鮮半島をほぼ統一し、高麗、朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。
『三国史記』の新羅本紀は「斯蘆国」の時代から含めて一貫した新羅の歴史としているが、史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王以後であり、それ以前の個々の記事は伝説的なものであって史実性は低いとされる。

3世紀ごろ、半島南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国があった。辰韓の「辰」は斯蘆の頭音で、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の国々の意味と考えられている。新羅は、この斯蘆国が発展してが基盤となって、周辺の小国を併せて発展していき、国家の態をなしたものと見られている。

『太平御覧』で引用する『秦書』には、377年に前秦に初めて新羅が朝貢したと記されており、382年には新羅王楼寒（ろうかん、ヌハン）の朝貢が行われ、その際に新羅の前身が辰韓の斯盧国であることを前秦に述べたとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する王が奈勿尼師今に比定されている。この記述から奈勿尼師今の即位（356年）が新羅の実質上の建国年とも考えられている。

また、広開土王碑や中原高句麗碑により、時期によっては倭や高句麗によって一定の支配を受けていたことも明らかとなっている。

当初は様々な書き方をしていたのを6世紀に正式に「新羅」という表記に統一した。

6世紀中頃に半島中南部の伽耶諸国を滅ぼして配下に組み入れた。唐が660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼした時には、新羅は唐を支援し唐軍とともに戦ったが、その後、百済の旧領の全土と高句麗の南半分から唐軍を駆逐し朝鮮半島をほぼ統一した。首都はほぼ金城（現在の慶尚北道慶州市）にあった。9世紀末には新羅の国力は衰え、百済・高句麗の再興を図る勢力が出て後百済・後高句麗との鼎立による後三国時代となり、最終的には後高句麗から起こった高麗に帰順して新羅は滅亡した。

新羅の歴史は、『三国史記』新羅本紀・敬順王紀に記されるように、始祖から第28代真徳女王末年（654年）までを上代、第29代武烈王（金春秋）即位から第36代恵恭王末年（780年）までを中代、第37代宣徳王から滅亡までを下代と分類する。

中国の書物の伝える新羅建国
隋書東夷伝によれば、その王はもと百済人で、海から逃げて新羅に入り、ついにその国に王となった。祚を伝えて金真平に至った・・・。その先には百済に附庸していたが、のち百済が高句麗を征するのに困って、高句麗人は戎役に堪えられず、あい率いてこれに帰したので、ついに強盛を致し、困って百済を襲い、迦羅国に附庸となった。

建国神話
『三国史記』新羅本紀によれば、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があること、そしてそれぞれに始祖説話を持っていることが伺える。

朴氏初代の朴赫居世 
辰韓の六村の長の一人が、蘿井（慶州市塔里面に比定される）の林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵があった。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけた。卵が瓠（ひさご）ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「バク（＝朴）」を姓として名乗った。朴赫居世は紀元前57年に13歳で王位（辰韓の語で王者を表す居西干と称された）に就き、国号を徐那伐とした。また、閼英井（南山の北西麓の羅井に比定される）に龍が現れ、その右脇から生まれた幼女が長じ、容姿端麗にして人徳を備えていたので朴赫居世は王妃に迎えた。当時の人々は赫居世と閼英とを二聖と称した。また、建国時に腰に瓠をぶら下げて海を渡って来たことから瓠公と称されるようになった倭人が、大輔という役職名の重臣になった。 
昔氏初代の昔脱解（第4代脱解尼師今） 
倭国東北一千里のところにある多婆那国[3]の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流された。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。箱が流れ着いたときに鵲（カササギ）がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした。長じて第2代南解次次雄の娘（阿孝夫人）の女婿となり、のちに王位を譲られた。 
金氏始祖の金閼智（第13代味鄒尼師今の7世祖） 
脱解尼師今の治世時に、首都金城の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって瓠公に調べさせたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていた。その木の下で白い鶏が鳴いていた。小箱を持ち帰って開くと中から小さな男の子が現れ、容姿が優れていたので脱解尼師今は喜んでこれを育てた。長じて聡明であったので「閼智」（知恵者の意味）と名づけ、金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。また、このことに合わせて始林の地を鶏林と改名した。 
赫居世神話に現れる六村はのちの新羅六部の前身であると見られており、これらの部と王統がそもそも結びついていないことを示している。また3姓の始祖説話については、それぞれに誕生の形態が異なりながらも姓の由来を説くものであり、3つの有力な集団があって王位を持ちまわっていたということが窺い知れる。これらの始祖説話は紀元前後に繋年されたものではあるが、実際に新羅で姓が用いられるようになったのは6世紀からのことと見られており[4]、後代に整備されたものであるとの可能性もある。いずれにせよ、複数の王統を持つことや、建国初期に倭人勢力との関わりを伝えることなど、高句麗・百済の始祖説話体系とは異なり、新羅の特徴的事象となっている。

日本側伝承では、『新撰姓氏録』が新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命（神武天皇の兄）だとしているが、稲飯命は、『古事記』においては母の国の海原へ行ったとされ、また『日本書紀』においては神武東征の際に嵐を鎮めるため海に入水したとされるなど、新羅との関わりには触れられていない。しかしアメノヒボコ伝承や出雲神話などに早い時期から新羅と倭との関わりが暗示されている。

上代
長らく高句麗に従属していたが、5世紀中頃からはその支配下から脱却しようとして高句麗とも争うようになった。一方で辰韓諸国に対する支配力も高め、伽耶諸国の領有をめぐって百済とも対抗する姿勢を明らかにし、三国が相競う様相を示した。6世紀になると智証麻立干・法興王らが国制の整備によって国力を高め、6世紀中頃には真興王による急激な領域拡大が可能となった。高句麗を攻撃し北に領土を広げ、百済・日本の連合軍を退け、562年には伽耶（大伽耶）を滅ぼして吸収し、文字通りの三国時代となった。中国に対しては564年に北斉に朝貢して翌年に冊封を受け、その一方で568年に南朝の陳にも朝貢した。このように中国大陸の南北王朝との関係を深めたことは、半島北部の高句麗に大きな脅威を与えた。隋、唐に対しても建国後まもなく使者を派遣して冊封を受けた。

唐の中国統一の後に危機感を募らせた高句麗は淵蓋蘇文が実権を握って緊急軍事態勢を敷き、新羅と激しく対立するようになっていた百済の義慈王と連携したため、新羅は国際的に孤立することとなった。新羅は643年に善徳女王が唐に救援を求めたが、このときに唐からの救援は得られず、逆に女王を退けて唐の皇族を新羅王に据えることを求めてきた。このことが契機となって、新羅国内では親唐派と反唐派の対立を生じ、上大等の?曇が女王の廃位を求めて反乱を起こした。乱を治めた金春秋（後の武烈王）と金庾信とは真徳女王を立てて親唐路線を継承していった。金春秋は中国の律令制度を取り入れる改革を始め、650年にはそれまで新羅独自で用いていた年号（太和）を廃止し、唐の年号を用いるなどして、唐との連携を強めていった。

中代
武烈王の即位から、その直系の王統が途絶える780年までの時代を中代と呼び、新羅の国力が最も充実していた時代であった。

武烈王の即位後、唐と結んだ新羅は唐の援軍と共に金庾信に軍を率いさせ、百済に進軍。660年に百済を滅ぼし、663年に白村江にて倭国の水軍を破り（白村江の戦い）、668年に高句麗を滅亡させた。この間の戦力の成長を支えたのは、伽耶が開発した鉄生産技術の取得が背景にあったものと見られる。

その後、旧百済領を占領していた唐とその支配権をめぐって対立し、670年から争ったが、676年に唐軍を半島から追い出し、旧高句麗領の南半分と合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいる。

半島統一後、唐に対して謝罪外交をする一方、引き続き唐との小競り合いが続いたので関係は緊張し続け、北境に長城を築くなどして唐に対抗した。しかし、696年に唐と渤海との間に戦端が開かれると渤海により唐と新羅は国境線を接しなくなった。これ以後を韓国や北朝鮮では南北国時代と呼んでいる[5]。732年、渤海に山東の蓬莱港を占領された唐は新羅に南からの渤海攻撃を要請、新羅は唐の要請を受けて渤海を攻撃、唐と新羅の関係は和解へと向かう。唐が渤海と和解すると新羅は渤海攻撃の功績が認められ、735年に唐から冊封を受けて鴨緑江以南の地の領有を唐から正式に認められた。

統一新羅の成立と共に官僚制度の改革が図られた。降伏した百済・高句麗の王族、貴族を格下げした上で官位制度の中に組み入れ、律令制を取り入れながら政治形態を変化させていった。官吏の養成機関として国学という教育機関が置かれた。また、州・郡・県を基本と為す郡県制を基本とした地方支配体制が整えられた。旧新羅・伽耶領に3州、旧百済領に3州、旧高句麗領に3州の9つの州が置かれ、これらと副都五京によって地域支配が行われた。唐の律令制度を取り入れながらも、位階などの名称は旧称のままで残されたりもしたが、8世紀半ばには唐風に改められている。唐の影響は非常に大きく、この頃、先祖伝来の姓や従来的な名もまた、全て中華風に改められている。

天武天皇の即位から780年までは、日本との関係は比較的良好であり、双方の間で遣新羅使、遣日本使が30回以上送られている。しかし、780年に渤海と新羅の間が緊張し、渤海が日本へ遣日本使を派遣すると新羅と日本の間の国交は停滞した。また、朝鮮半島を統一し国家意識を高め、日本との対等な関係を求めた新羅に対して、人質の献上や朝貢を受けるなどし、従来より新羅を属国と見なして来た日本[6]は激しい反感を持ち、その様子は、753年に遣唐使の大伴古麻呂が新羅の使者と席次を争った事件や、恵美押勝（藤原仲麻呂）が渤海の要請により新羅討伐計画を立ち上げた際の主張（新羅が属国であるにも関わらず日本に非礼であるためとしている）に伺える。

国家レベルでの関係は緊張したが民間レベル（主に交易）での交流は続けられており、新羅商人が大宰府および九州に来て、唐、新羅の文物を日本へ、日本の文物を新羅、唐へと運んで交易に励んだ。そのため、三国の情報は比較的詳細に交換されていた。また、日本の遣唐使も帰国の際には、新羅船を利用することが多かった。

下代
780年に武烈王の王統が絶えると王位継承の争いが激しくなり、王位纂奪や王都内での反乱が頻繁に発生する様になった。また骨品制により、新羅王族のみが上位官僚を占めるようになり官僚制度は行き詰まりを見せていた。この780年代から新羅滅亡までの期間を下代と呼ぶ。

この時代には、地方の村主や王都から地方に飛び出した王位継承に破れた王族や官僚らが軍事力を背景に勢力を伸ばし、新興の豪族として勃興した。そして、地方で頻繁に反乱を起こす様になる。822年には熊州で新羅王族の金憲昌が、825年には、その息子の金梵文が反乱を起こしているがいずれも鎮圧。841年には、清海鎮（全羅南道莞島）で張保皐が反乱を起こしたが、暗殺されている。しかしながら、これらの動揺は地域社会にも波及し、9世紀末には、農民の反乱や豪族の独立が頻発する。

その中でも有力な勢力であった農民出身の甄萱が892年に南西部に後百済を、新羅王族の弓裔が901年に北部に後高句麗を建て、後三国時代に入る。その中で後高句麗の武将であった王建が918年に弓裔を追放して建てた高麗が勢力を伸ばし、935年に最後の王・敬順王が君臣を挙げて高麗に帰順したことにより新羅は滅亡した。

 王
歴代王については 朝鮮の君主一覧#新羅を参照。
上代では新羅の王族は姓が一定していない。初代赫居世居西干は朴、4代脱解尼師今は昔、13代味鄒尼師今は金となっており、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系がそれぞれ始祖説話を持っている（詳細については既述）。13代金味鄒は金閼智の子孫とされているが、後になってこの金閼智の子孫を称する一族が金氏王統となり、統一新羅王朝に於ける唯一の王族となった。

三国史記では法興王の時代521年に中国南朝の梁に使を遣わした新羅王は、姓は募、名は秦と伝えられる。564年に北斉の鄴に使を遣わした新羅王は金真興であった。募という姓は慕韓とも書かれる馬韓のことで、新羅王家が百済系だという「隋東藩風俗記」の伝承が史実であることを示している。新羅は532年に金官国の王である金仇亥を降し、536年に初めて国号を立て建元元年とし、545年には初めての国史を編纂、554年には百済の聖王を管山の戦いで殺し、562年に加耶国を征服して任那を完全に併合した。その2年後の564年に金真興が現れるので、金姓は金官国の王家の姓を百済との絶縁の象徴として採用され、金氏の系図もこの頃造られたものであろう。

ただし、統一新羅王朝末期には、52代孝恭王に子がいなかったために朴景暉が推戴されて王位を継承（53代神徳王）し、その後55代景哀王までの3代は朴氏王統となる。なお、新羅最後の王（第56代）敬順王の姓は金氏であり、新羅は王位が金氏王統に戻ってから間も無く滅亡したことになる。

新羅の王（君主）を表す称号としては『三国史記』には居西干（コソガン）、次次雄（チャチャウン）、尼師今（イサグム）、麻立干（マリッカン）の固有語由来の表記が見られ、第22代の智証麻立干の代で王号を「王」に定め、諡の制度が始まったとしている。また、中原高句麗碑文や『日本書紀』には寐錦、蔚珍鳳坪碑文には寐錦王、迎日冷水碑文には葛文王、『太平御覧』で引用する『秦書』には楼寒（これについては麻立干に相当すると考えられる）などの表記が見られる。

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         <pubDate>Mon, 09 Feb 2009 14:08:07 +0900</pubDate>
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         <title>北京語（ぺきんご）</title>
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北京語（ぺきんご）は、中国の北京で話される中国語の方言。古くは北平語などと呼ばれた。北方方言に属する。

普通話、國語、華語などと呼ばれる中国語の標準語は北京の発音を基本としており、これを俗に北京語と呼ぶ場合もあるが、完全に同じではない。普通話は文言（漢文）の語彙語法を取り込んだ教養ある知識人の北京語を基準にしており、北京の街角で話される日常語とはずれがある。（日本語の標準語と東京方言のような関係にあると考えるとわかりやすいであろう）

北京語は北京市の市街地で話されるものを指し、北京市郊外のものは含まれない。北方方言の下位方言である華北方言（北京官話）に属する。中国では俗に北京語あるいは北京語なまりの普通話のことを「京片子 Jīng piànzi」と呼んでいる。

歴史
北京は、春秋戦国時代には小国燕の首都薊（けい）であった。秦・漢時代に北平（ほくへい）と呼ばれようになり、隋代には大運河の起点となるなど、要所となった。五代十国時代に、内モンゴルから南下してきた遼帝国は燕雲十六州の割譲を受け、副都の一つ南京とした。金が遼を滅ぼすと、ここに遷都して中都した。元も金を滅ぼして大都と改称して、都とした。明が元を追い出した後、都はいったん南京に移され、北平の名に戻されたが、朱棣（後の永楽帝）によって都を戻し北京が復活した。中華民国も北京を首都としたが、蒋介石の中国国民党政権は、南京を首都として、北京を北平と改称した。中華人民共和国成立後、再び首都北京となり、今に至っている。このように、北京は金以来の首都として、全国から人が集まる場所であったが、北方民族の支配を長く受けたために、文法や語彙に北方諸語の影響が見られる。一方、全国から官吏を集めるために行われた科挙制度も、都北京の言葉によって行われていたため、全国の為政者や知識人に影響を与える言葉となっていた。

このため、北京語は中華民国時代に公用語として創られた國語の基となっており、その國語を基に中華人民共和国の標準語である普通話が創られた。但し語彙語法に文言の要素が少なからず加えられている。現在の中華民国（台湾）で使用されている國語は普通話と基本的に同一言語であるが、両国の言語政策・文化的差異によって語彙などに若干の差異が見られ、発音にも多少の違いがある。また、シンガポールなどの東南アジアの華人社会では華語とも呼ばれる。

 特徴
北京語は他の中国方言に比べ母音をそり舌で調音するr化音が多用される。例えば、普通話の「今天 jīntiān」（今日）は「今儿 jīnr」と発音される。 
音節末の歯茎鼻音[n]の代わりに鼻母音[??]が使われる。 
発音の簡略化（声調が四声しかない・入声の消滅） 
独特な語彙（?上、去、吃[喫]など） 
これらの要素は、中国北方民族諸語（アルタイ諸語）の影響と考えられる。 
また、漢字に当てはめられないスラングなどもあり、現代においてはアルファベットで置き換えられるのが普通である。 
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         <pubDate>Sat, 24 Jan 2009 07:20:03 +0900</pubDate>
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