八卦掌(はっけしょう、Bāguázhǎng)とは、中国武術の内家拳の一つ。
古くは『川掌』、『転掌』、また臂を伸ばして円周上を回る姿が石臼を漕いでいるように見えるので『推磨門』と称された。現在は分派により、八卦六十四掌、遊身八卦連環掌、揉身八卦遊身掌など様々な呼び方があり、「八卦掌」はそれらの総称である。名称からわかるように、動作の根本原理を周易の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。
八卦掌は名前の通り「拳」(こぶし)よりも「掌」(てのひら)を多用するのだが、掌に限定するわけでなく拳も用いられる。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を流しやすくするために指先を大きく広げて構える形や、隠し武器(暗器)や指先で相手の急所を突くために指先をそろえて構える形など、門派により様々である。
技の数は非常に多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。また、技の数は多いが、その中で一つだけ「A」という技だけをピックアップして練習することもできる一方、全く違う「B」や「C」などの他のあらゆる技と組み合わせて練習することも可能であり、動作を次々と移ることもできるように作られているという特徴を持つ千変万化の拳法といわれる。はじめに基本動作である「扣擺歩」、扣擺歩を連続させて円周上を歩く「走圏 (Zǒuquán)」、歩く方向を変換する際に行う「換掌式」、特定の姿勢で走圏を行う「定勢八掌」、定勢八掌の変化である「八母掌」を練習する。その後さまざまな套路(八母掌の幾つかの動作を連結させたもの)や、武器術(子母鶏爪鋭、八卦大刀、八卦粘身槍、八卦奇門槍、八卦剣、八卦棍、子母鴛鴦鍼、八卦判官筆、八卦七星杆ets.)などがある。
走圏の1例では、初期には円周上を遅く歩き足腰の鍛錬をし、長じて早く走り全身持久力(スタミナ)と敏捷性をつける。実際の戦闘時には敵の周囲を人一倍走り回りながら攻撃するために必要な持久力を養成する意味と、瞬時に無数の攻撃を行うための敏捷性を養う意味がある。そのため八卦掌を会得するには敏捷性、持久力を養成するために習得するまで時間がかかると言われている。
中国天津市に伝わる八卦掌の分派では易の理論に基づき先天・後天の二つに別れ、それぞれ先天八卦(力を抜ききった状態でふわふわと型を演ずる)、後天八卦(八極拳のように震脚をし剛猛に演ずる)にわけそれぞれ錬磨する。
基本的な構成は『走圏』→『換掌式』→『八種類の走圏(定勢八掌)』→『対応する八種類の掌法(八母掌)』→『八種類の掌法の変化(八母掌の直線/旋転変化)』であるが、その名称・動作・要求は派によって大きく異なる。これは伝承時期(初期の弟子と後期の弟子では内容が大きく異なる)によるものと、伝承者が八卦掌を学ぶ以前に修めていた武術の技術を加味した為である。
以下代表的な二派を例に挙げる。
尹派八卦掌(東城派)
特徴??牛舌掌(中指を中心に四指を伸ばし揃えた掌型。親指の配置は伝承者によって異なる。蛇頭掌とも称する)、鶴行歩。
内容??走圏、換掌、定勢八掌(塌掌・穿掌・推掌・托掌・劈掌・『手肅』掌・双合掌・鑽掌)、
八母掌(塌掌・穿掌・推掌・托掌・劈掌・『手肅』掌・双合掌・鑽掌)、六十四手、十二連腿、七十二裁腿、羅漢拳等。
程派八卦掌(南城派)
特徴??龍爪掌(五指を分開し丸みを帯びさせた掌型。打つ/抓むといった変化が容易い)、鶏行歩。
内容??走圏、単換掌、転掌(猛虎推山・大鵬展翅・獅子張口・白猿献花・力推八馬・懐中抱月・指天挿地・青龍探爪)、
八大掌(蛇形順掌式・龍形穿掌式・回身打虎掌・燕翻蓋手掌・転身反背掌・擰身探馬掌・翻身背挿掌・停身搬扣掌)
六十四掌、七十二裁腿他。
歴史 [編集]
成立年代は19世紀の前半(清朝後期のころ。)と言われており、創始者は紫禁城の宦官であった董海川とされる。当時、董海川自身が「八卦掌」という名称を用いていたかどうかは定かでなく、その名称自体は後世になってから定着したものと考えられる。董海川は後に粛親王府の護院の長となったと伝えられているが、確かな記録はまだ見つかっていない。
八卦掌の源流を道教の修行法とする人や他の拳術とする人もいるが、実際の所はわからない。成立過程の一つに羅漢拳が挙げられることもある。八卦拳を標榜する派、特に宮宝田派がこの説にこだわっている。二代目の尹福が羅漢拳を身につけていたからだが、開祖の董海川が羅漢拳を身につけていた形跡は見られないので、これも一つの伝説にしか過ぎない。
別説では羅漢拳等、少林拳系の拳を初代、董海川より2代に渡り継承し易の理論に沿い8種の直線状に歩く套路に整理し、鍛錬法として円周上を歩く走圏を取り入れたのが八卦掌の初期、源流の姿とみられる。そしてそれが時代とともに円周上で套路を演じる現代の八卦掌へと変化した。だが中国大陸伝承の尹福派や宮宝田派は少林系の拳法そのままの直線上の套路なのに対し、程延華派は円周上で套路を演じるだけとなっている。 要は程が少林拳的な基礎である部分を削除したために円周上のみの套路になってしまい、それが主流として大きく広がり、流派によって大まかな差異を生み出してしまっているとみられている。
(*ある技術が自派にのみ伝わり、他派に伝わっていないので自派が正統だとするのは武術の流派によく見られる言い方だが、その正当性を客観的に証明するのは困難である)
董一族の住処であった村に八番拳というものが伝えられており、これが八卦掌の源流ではないかと北京体育大学の康戈武教授が論文を書いている。この八番拳に道教の円を巡る修行法・禹歩が加えられ走圏となったのではないかと推測している。また八番拳の套路には八母掌(八大掌)との共通性が見られるという。 かなり濃厚な説だが証明は難しい。
他門派に比べて新しいこともあり、八卦掌の技術は他門派の優れた技術を多く取り入れている節がある。八卦掌は、他の「内家拳」門派と比べて練習体系が公開されていない為か、他の門派よりも一層神秘的に見られていることが多く、また動きが優雅なので誤解が多いが、実際には極めて攻撃的である。変化に富むのが特徴で、一般的に太極拳は柔らかい、形意拳は剛直と見られており、太極拳は柔を表す皮革球、形意拳は剛を表す鉄球に喩えられ、八卦掌は鋼の糸を編んだ鉄糸球と喩えられるが如く、剛でもあり柔でもある。
形意拳一門と八卦掌一門が試合をしたとき全く勝敗がつかなかったため両者が話し合ったところ、共に同じ原理に基づく武術であると分かり、その後互いに相手の武術も修行することになったとの伝説が語られている。おそらくは程廷華が形意拳家と多くの交流をもったために生じた伝説だが、程廷華の交友関係により郭雲深、李存義、張占魁、孫禄堂等の形意拳との交流が多くなり、歴史的にも技術的な影響を形意拳から受けている派が多くなったことは事実である。
門派 [編集]
八卦掌の門派は甚だ多い。 その理由としては、董海川の元に集まった各地の達人たちに対して、董海川は各達人がそれまで学んできた武術にあわせて教授した点が挙げられる。よって、投げ技が主体の門派や打撃が主体の門派など、門派によって動作に大きな違いが見られる。 開祖の董海川の門生は(以下、拝師した順に)
尹福(大弟子、呼称『痩尹』)、馬維祺(呼称『煤馬』)、史計棟(呼称『賊腿史六』)、程廷華(呼称『眼鏡程』)
宋長栄、孫天章、劉登科、焦毓隆、谷毓山、馬存志、張釣、秦玉寛、劉登甲、呂成徳、安份、夏明徳、耿永山、魏吉祥、錫坤、王辛盛、王素清、沈長寿、王徳義、宋紫云、宋永祥、李万有、樊志湧、宋龍海、王永泰、彭連貴、傳鎮海、王鴻兵、谷歩云、陳春林、王廷桔、双福、李長盛、徐兆祥、劉宝貞、梁振蒲、張英山、郭玉亭、趙云祥、張金奎、焦春芳、劉鳳春、司元功、張鋒、清山、何五、何六、郭通海、徐鶴年、馮原廉、李寿年、孫泮。
小門生(寿字輩で董海川より指導を受けた者)には
張逸民、馬貴(尹福弟子)、楊峻峰(尹福弟子)、劉金印、文志、奎玉、王志、世亭、居慶元(尹福弟子)、劉印章、耿玉林。
また碑上に記載されていない門生として全凱亭、劉徳寛、李存義、張占魁等が居る。
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